八月十五日

(2003年8月15日)


娘を亡くして5回目のお盆を迎えました。
13日に玄関先で迎え火を焚き
風歌の魂を迎えました。

僕達夫婦は勝手なもので
いつも風歌はそばにいてくれると信じていますが
お盆は何か特別な感情を呼び起こします。
仏壇をいつもより賑やかにして
ベランダから見えるところに家紋入りの提灯を下げました。

昨夜、僕達夫婦はその下にテーブルを置き
位牌と写真を並べ
僕達自身はベランダに出て
娘の位牌と写真に良く見えるように
線香花火をしました。

生きていればきっと娘も手にしたであろうと思う花火をしました。

いつも傍にいると信じているのに
娘に近況報告をしました。
あらためて、愛する者を失った悲しみを確認することになりました。

お盆がこんなに悲しい思いをする日だとは
娘を失うまで知りませんでした。


初盆を迎える家族があります。
そのご家族は昨年の11月にお嬢さんを保育園で亡くされました。
そのご家族の元へこんなニュースが届きました。
雪音(ゆきね)ちゃんと言う名前の女の子です。

(2003年8月15日大分合同新聞朝刊より)

警察が雪音ちゃんの死は病死であり
事件性はない、保育園に過失は無いと判断したのです。

雪音ちゃんの解剖結果は
不詳
(乳幼児突然死症候群の疑い、もしくは窒息)

と診断されています。
施設は事故直後から病死を主張し
ご家族にはSIDSについての説明をしたそうで
頭を下げる事も無く
かえって迷惑であるとの対応だったそうです。

朝保育園に預けた時には無かった傷が
事故後の雪音ちゃんのおでこと顔から見つかりました。

本当に事件性は無いのか?
保育園に過失は無いのか?
警察はちゃんと調べたのか?

警察は残念ながら前例が無い事件を立件することを
積極的にしようとはしません。
言い方を変えれば
有罪にする自信の無い事件は
立件する事がありません。

今年になって病院での事例で
施設側がSIDSを主張する事件では初めて
担当看護婦が有罪になった件があります。
湧介君の事件です。
しかしこれはこれまでのケースの中でも例外中の例外です。
なぜかと言うと
第一発見者が湧介君のお母さんだったのです。
顔が真下を向いてタオルに埋まり
重たい寝具が掛けられていたと
お母さんがハッキリ見たのです。
他のケースではその状況(第一発見者が母親)は無いのです。
画期的な判決でしたが
前例とは言い切れないのです。

ご両親は事故直後から
積極的に真相究明を目指し活動されました。
全国に散らばる、同じ目的を持つ家族と接触し
警察には数万人分の署名を集めて提出し
SIDS学会にも参加しSIDSについても深く調べました。

しかし
残念ながら警察はその願いを無にしました。
とても残念です。
何故このタイミングで発表したのか
逆に怒りすら覚えます。

前例が無いのであればこれを前例にし
今後の事故防止に役立てて欲しいのです。

雪音ちゃんの事件では
解剖医も責任を逃れようとしたのではないかと感じます。
不詳
(乳幼児突然死症候群の疑い、もしくは窒息)
カッコの中の二つの分類は全く相容れないもので
解剖医は病死と過失死を並べているのです。
非常にあいまいにしているのです。

ここのところ
民事裁判では遺族側の勝訴が続き
民事裁判に至ら無いまま施設が非を認め
和解に応じるケースも沢山出てきました。
安易にうつ伏せ寝で放置する事が
赤ちゃんに対してはしてはいけない事だと認知されたと
とてもよい流れが出来始めたと感じていました。

しかし警察がそれを無にしているのではないでしょうか?

事故が減らないのです。
相談が相次いで届くのです。

相談者は
警察が解決してくれると信じているのです。
どうかその思いに応えてください。
この問題
(SIDSが免罪符として使われる)
を解決するためには
警察の力は無くてはならないのです。
よろしくお願いします。


中庭さんへ
ご両親の努力は雪音ちゃんに届いています。
初盆で帰ってきた雪音ちゃんに
胸を張って報告してください。
風歌の父より


2003年8月15日