7回忌に

(2005年3月26日)

風 今どこにいるのかな?


お母さんは、

暖かくて緑や花が沢山あって 優しい人が沢山いて

そこで風歌は笑って過ごしている。

勝手にそんな想像をしています。
 

ごめんね風歌。

この6年、こんな都合のいいことばかり考えて。

深く考えると 息苦しくなって、しんどくて 

生きている事が悪のように思えて、

ずっと目を背けていたね。

風が旅立ってすぐの時に

お父さんに

『風を忘れないよう、風のくせやしぐさをノートに書いておけ』

と言われて

何十ページも書いてあるけれど

同じ理由で一度も目を通していない。

ひどい母親だと、自分で泣けてくるよ。

本当にゴメンなさい。


弟や妹は風ですか?


風の一回忌の時に

風の弟の妊娠が発覚した。

とっても複雑だった。

風だけのお母さんでいたいと言う気持ちが強かったから。

私の腕は、風しか抱いた事が無いのに

下の子が生まれてしまうと

腕の中の感触や重さ、やわらかさ においを忘れる気がして・・・

でも

お父さんに、もう一度子どもを抱かせてあげたいという気持ちもあって・・・

2人で泣きました。

弟の母子手帳の交付は、4月3日 風の誕生日

そして、弟が生まれたのは、10月31日。

アメリカでは、ハロウィン。

なんかね

『あの世とこの世が一番近づく日』

なんだって。

アメリカに住んでいる、友人が教えてくれたよ。

妹はね。

4月2日生まれ。

本当は、帝王切開の手術予定日は

4月3日だったんだよ

お医者さんから4月3日でいいですか?って聞かれて

お父さんが

風の誕生日は風の誕生日

妹は妹の誕生日にしようということで4月2日になったんだよ。

弟、妹の生まれることごとに

風歌が見え隠れしてて

あれ?

風歌が、この子達に少し入っているのかな?とか

お母さんは思っています。


今・・・


風が旅立って、1〜2年は何に対しても投げやりで

死に切れない自分が情けなくて 風歌に申し訳なくて

弟がおなかに入ってた時も、 風が一番じゃなきゃいけない。

弟は2番だとか無理に思おうとしていたり

罪悪感でいっぱいだった。

一日が早く過ぎてくれればいいと そればかり願ってた。

でも、HPを通じて全国の方に励ましのメールをいただいて

それで元気が出た。

メールの中に
  
『風歌ちゃんを思い 空を見上げて 手を合わせています。』

そんな内容を書いてくれる人が沢山いて

私達夫婦以外にも あの子を想い手を合わせてくれる人がいる

そう思うととても嬉しくて ありがたくて

きっと天国はあって そこで 風歌は笑っている と

思えることが、できるようになってきた

見知らぬ人からの、心のこもったメールに

ずいぶん救われた。

それと

同じ境遇の方との メールのやり取り。

私より先に、子どもをなくした方の生き方が

とても気になっていた。

その人たちが 笑うことが出来ていたら

私ももしかしたら、笑うことが出来るかもしれない。

笑ってもいいかもしれない。

その方達が、幸せだったら。

私にも、もう一度幸せが来るかもしれない。

幸せになっても

いいかもしれない。

風歌

お母さんの進んでいる道は
 
これでいいのかな?
  
今年は7回忌。

笑えるようになったし

涙を流す事も減ってきた。

11ヶ月で

私のせいで

この世を旅立たなければならなくなった

風を思うと

どうしていいのか わからなくなる

きっとずっと このままなんだろうね

生きる事への罪と罰

悲しみと後悔を背負う事が

風歌とともに生きる事だろうと思うから。


宮田ひとみ