命日『八回忌』

(2006年3月26日)

昨年の七回忌からこの一年の間に
乳児の突然死を巡る問題に
様々な動きがありました。


大きな出来事として
新しい診断基準が挙げられますが
それについては過去に記しましたので
そちらを確認してください。
新基準(2005/5/15)
こちらです。

簡単に新しい診断基準を説明するとしたら
『窒息死と診断するには厳しい基準が必要です』
と言う不思議な内容のSIDSの診断基準です。

残念な事にこの新しい診断基準が
現在進行形の裁判などに
施設側から提出され始めています。
新基準を作ったお偉いさんの狙いは
ここにあったんだろうと思います。

その新基準が発表されてからの
いくつかの裁判や事故後の経過をお知らせしたいと思います。
上に書いた狙い通りの流れは起こっていません。
今後も今のままの流れでいって欲しいです。



2005年6月27日に埼玉県の和(なごみ)ちゃん
に関する高裁での訴訟が
遺族側にとっての勝訴的和解を迎えました。

過去に書いた文章に地裁判決について書いてあります。
六回忌に(2004年3月26日)
こちらもあわせてお読みください
とにかくとても酷い判決でした。

高裁では違いました。
和ちゃんのお父さんからいただいた文章を
一部抜粋して紹介します。
実名は伏字にします。

第一回控訴審の口頭弁論が、東京高裁民事1部にて
2005年6月28日に開かれました。**裁判長は開口一番、
『死因がSIDS(乳幼児突然死症候群)だからと言って、
保育園側が免責されるとは考えていません。保育園側は、
もし自分達の保育に全く落ち度がないなら反論しなさい。
それにしても、埼玉地裁の一審判決はかなりひどい内容です。』
と最初から心証を明らかにしました。
 私たちはこれでやっと本当の裁判が始まるのだと確信した次第です。
・・・・・・(略)・・・・・
**教授の科学的な再鑑定は、和(なごみ)に残された胃の内容物や死後硬直
の度合い、死斑などから、和(なごみ)は死亡当日の午前11時30分には死亡しており
その状態で午後3時前まで放置されていたことを究明し、
死因を窒息死と認定しています。
・・・・・・(略)・・・・・
これらを反映し、死因はともかく乳児の命を預かるに足る保育が実践さていなかった
保育内容に争点がおかれるとともに、たとえSIDSであってもちゃんと見ていれば
死を防ぐ事が出来る事も認定された上での和解となりました。
・・・・・(略)・・・・・・
裁判長から『判決なら5000万円ぐらいの賠償命令がさせる事案です。
ただ判決は紙切れで終わるが、和解なら園長に直接謝罪させ、誓約書の意味を持つ
和解調書が結べます』との打診があり、和解を選択した次第です。
和の死後、一度も保育園経営者からの謝罪がありませんでしたので、
私達にとってこの謝罪をさせることが提訴した動機のひとつでもあったからです。

『死因がSIDSとしても過失責任は免責されない』、『この和解を契機に同じ事案で苦しむ
他の親御さんの力になってあげて下さい』と言及した東京高裁での和解の意味は大きく
各マスコミも注目し各県の地方紙にも掲載されました。
・・・・・(以下略)・・・・・


ISA(赤ちゃんの急死を考える会)会報NO.33 2005.11.13より

とてもいい内容の和解を迎えています。
地裁の判決は支離滅裂だったのです。
保育園側は謝罪したのです。


この和解から少しさかのぼった2005年5月10日に
鹿児島県でも和解を迎えた事例があります。
こちらもご家族にとっての勝訴的和解です。

その事例というのは
平成15年の2月に起こった医療事故です。
生後6日の双子の兄を襲った出来事です。
16人の新生児を1人の看護師が担当している時に起こっています。
やはりうつ伏せ寝で
男の子は心配停止の状態で発見され
一命は取り留めましたが重篤な後遺症が残っています。

病院は事故当初ALTE(乳幼児突発性危急事態)を主張し
うつ伏せ寝とは関係なく責任を回避する態度を取っていたそうです。

しかし、病院側は非を認め裁判へと進むことなく
和解を迎えました。
存命中の和解事例というのは初めてなのです。

同じく2005年11月
『あしあと』
のページにも紹介させていただいている
隆吉君の裁判がご家族の勝訴で確定しました。

解剖もされずに『SIDSの疑い』とされた病院での事例です。
軽い肺炎で入院中
ご家族は付き添いを希望し
そろそろ寝返りをはじめそうなので注意してくださいと
病院にお願していたそうです。
しかし、残念なことに
誰も見ていない状態で初めて寝返りをし
隆吉君はうつ伏せ寝の状態で冷たくなって発見されました。

判決では『最低でも10分に一回は巡視の必要があった』と
認定され、病院側の監視義務違反が認められました。

一審判決に対して被告は控訴することなく
判決は確定しました。


そして年が明け2006年1月
香川県の飛士己君の判決が確定しました。
過去に記したページがあります。
飛士己君によせて(2002/3/26)

大阪高裁(2002/4/12)

飛士己君の続報(2002/8/7)

高松園児虐待死 再び県に賠償命令 高松高裁判決

 香川県香川町(現高松市)の無認可保育園「小鳩幼児園」(廃園)で02年2月、
元園長(64)=殺人罪などで懲役10年が確定=の暴行を受けて死亡した
藤嶋飛士己(ひとき)ちゃん(当時1歳2カ月)の両親が、
元園長と県、鑑定医に計約9800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、
高松高裁であった。
馬渕勉裁判長は「事前に園を閉鎖していれば事件は防げた」などとして、
元園長と県に計約6370万円の支払いを命じた1審・高松地裁判決(05年4月)
を支持し、県側の控訴を棄却した。
 判決によると、飛士己ちゃんは02年2月19日、
元園長に頭を殴られるなどしたうえ、放置されて死亡した。
県は01年11月、別の女児が元園長から虐待されたという通報で
同園を立ち入り調査して文書で改善指導し、
02年2月にも再調査をしていた。【南文枝】
(毎日新聞) - 1月28日10時32分更新

ヤフーのニュースからの抜粋です。
香川県は上告を断念し判決を受け入れました。

しかし、一審の高松地裁、二審高松高裁は
解剖医の仕事を全く意味のないものと考えているようです。
『どんないい加減な仕事をしてもいいんですよ』
『あなた方がどんなにいい加減でも罰はありませんよ』
そういう判断を司法が下しています。
県と園長に対しての損害賠償は認めましたが
解剖医には責任はないとのことです。

飛士己君がどんなことをされたか
過去に飛士己君のお母さんからのお手紙を公開してます。
飛士己君の続報(2002/8/7)
人間とは思えない事をしています。

それに対して解剖医は
『SIDS(乳幼児突然死症候群)』
を付けているのです。
再鑑定(飛士己君の解剖所見をもう一度検証する)をした
解剖医が何故このケースが病死なのか理解できない
そう言っているのです。

SIDS(乳幼児突然死症候群)
が死因に付いた場合の警察の対応はこのHPを読んでくれた方なら
容易に想像が付くと思います。

想像通り警察は動かず、
ご両親の努力によってマスコミがまず動き
マスコミによって驚いた人々が警察の尻を叩き
ようやく警察が事件として取り扱いはじめたのです。
それまで警察は家族を丸め込む努力をしていました。
遺族はいらぬ不利益を解剖医の判断によって受けています。

高裁の判決で勝訴を勝ち取ったご両親ですが、
解剖医に対する司法の判断を納得できないご両親は
2006年3月26日現在
最高裁へ上告し判断を委ねています。

言い方を変えれば
飛士己君のご両親は
解剖医の仕事を責任のある
立派な仕事であるべきだと訴えているのです。
判断ミスは医療事故と同じだと

地裁高裁の判断で言う
どうでもいい責任のいらない
解剖医の判断によって
殺人事件がただの病死になる事があってはならないし
警察が動くか動かないかを決める基準であってはならないと思います

解剖医、法医が誇りある職業だと判断してください。
風歌も最後にお世話になったのは解剖医なのです。
どうでもいい人間に身体を任せたと思いたくありません。


個人的な事を書かせていただきます。
今日は我が家にとって特別な日
風歌の8回目の命日です。


風歌は今年の春
本当ならば小学校二年生になります。
昨年4月7歳の誕生日を過ぎ
小学校入学を迎えるはずでした。
昨年の春
風歌にランドセルを買ってあげたい
妻が言い僕も必要だと思いました。

風歌には特別なものをとの想いと
仏壇の前にこれから6年間供える為
普通のランドセルではなく少し小さめの物をと探しました。

見つかったのは安っぽい
ランドセル売り場のディスプレイ用の物だけでした。

ちゃんとした皮で出来ていて
留め金や部品もしっかりした本物が欲しいと思いました。
ないのなら作ろうと安易に考えました。
妻が率先して作ってくれる所を探しました。
大手のメーカーや
かばん屋さんも無理でした。

大分市のTOKIWAの
文房具売り場のホリエさん
電話での突然の頼み
親身になって聞いてくださり
そしてすばらしい出来映えの小さなランドセル
それを収納する特性のショーケース
本当に有難うございました。

完成を聞き受け取りに行ったレジで
あまりの、予想以上の出来上がりに
思わず大の男が涙を流してしまい
感謝の言葉も言えずに
逃げるように帰りました。

ここにあらためて言わせていただきます。
ややこしい願いに関わってくださった方々
本当に有難うございました。
大事に大事にします。



今朝、
風歌の遺骨の眠るお墓に花籠が供えてありました。
おそらく、保育園の方がいらしたのだと思います。
家の仏壇にも当時の保母さんが見えられました。
涙を流し線香をあげてくれました。

これまでたくさんの事例を知り
不誠実な施設の存在を多く知る僕達夫婦には
あなた方に誠意があることは
十分に届いています。

どうか、風歌を忘れないでください。



2006年3月26日命日に
宮田浩太郎