ウォーター

ママの愛情

母となる日
98年4月3日の正午、私は母になりました。
産まれたてのベビーは体重1850gと小さいながら大きな産声をあげました。
帝王切開の痛みの中初めて娘に話しかけた言葉は、「わぁ・・小さい・・」
本当は可愛いと言いたかったのですが照れてしまったのです

娘の名前はふうかと言います。漢字で風歌です。
単車を趣味にして、いつも風と触れ合っているパパとロマンチストなママが考えました。

未熟児なので大事を取ってNICUのある病院に搬送されました。
母乳をとって持って来て下さいと言われ、手術後の痛みをこらえ搾乳しました。
 そして1ヶ月後体重が2400gを越えようやく家族一緒になれました。

  産まれたその日です。
大分市のアルメイダ病院の、
NICUです。



こんな事ばかりしてました


始まった薔薇色の日々

親子3人の生活のスタートです。
ママはちょぴり緊張気味でしたが、パパには
生きた遊び人形です。
沢山写真を撮ってます。
葉っぱをつけてる写真は風歌に将来嫌がられるだろうな・・
と思いつつ、可愛いのでとりました。

入院中「赤ちゃんと一緒の生活が始まったら大変よ」と
よく言われましたが全然そんなことなくて楽しいばっかりでした。

風歌はおとなしいと言うか、おっとりしてると言うか、
夜泣きも全くしないし夜のミルクの時間も
私達が起こさないと朝まで寝てるような子でした。
自営業をやってるパパは暇になれば再々かえってきて、風歌と遊んでました。
パパはなんでもしてくれました。
趣味は『風歌』と言い。オムツもミルクもゲップもお風呂上りの着替えも、果ては離乳食作りまで
なんでもしてました。
可愛くて仕方なかったんでしょうね。この場を借りてお礼を言います。パパありがとう。


我が家は笑いが絶えませんでした。
イタズラ好きのパパと、いつもニコニコしていた風歌。
スクスクと風歌は育ってくれました。
家族旅行にも何度も行っています。
 こんな小さな子どもだけど、コアラも見たし、
イグアナにもさわったし、
スキー場でソリに乗って滑ったりもしました。
今度はどこに行こうとか、
それはまだ風歌には早いとか、
いつも風歌を中心に行動しました。
今考えれば、なんて無茶をしたのだろう。
と思うのですが、

8月の暑い日、4ヶ月になったばかりの風歌をつれて
川に泳ぎに行きました。ビックリして泣いてしまったね。

離乳食の残りのパンの耳を取っておいて公園の鳩にやりにいきました。鳩がたくさん来て楽しかったね風歌。

『高い高い』も比較的早い時期からやってたので
当たり前になっていました。
 風歌は抱っこ抱っこで育てました。


ママの目を盗んでパパが風歌にお化粧をしました。


鳩に囲まれてニコッ

「抱き癖がつくよ」といわれても可愛い時期に抱かなくていつ抱くのか?そういう考えでした
イチャイチャしたかったのに降ろせ降ろせ攻撃でしたね。お外が大好きで芝生の上に
風歌をおいて隠れたりしてたけど
芝生をむしるのに忙しかったのか、ママ達を探してくれなかったね。少し寂しかった。
基地もつくりました。『風基地』といいます。
ダンボールをくりぬいて風歌をいれて遊びました。楽しかったですか?
 ご飯もパパと2人で作っていました。
丸〜いホットケーキを作ろうとしてタコ焼き器も買いました。
コタツにつかまり立ちをして私達の間を行ったり来たりする風歌、些細な事ですが
本当に幸せでした。 


風歌が天使になってから

3月26日。ママは少し寝坊しました。
慌てながら風歌にご飯を食べさせ保育園に行く準備をさせ
パパに風歌を頼んであわただしく家を出ようとしました。
何故か廊下で風歌を抱きたくなり足を止めましたが
帰ってきたらまた遊べる。
そう思って仕事に出かけました。
いつもと何も変わらない朝のはずでした・・・・

お昼休みにママは許可をもらって家に帰り家事をしていました。
仕事が終わって帰ったら風歌と遊ぶ為です。
パパにも言ってないけど、その日は出前でも取って
風歌と遊ぶ為に専念しようと考えていました。
昼休みが終わり仕事に戻ったらすぐパパから電話がありました。
病院に駆け込み、風歌の死、解剖、お通夜、お葬式・・・
私の思考は止まったまま時間は過ぎて行きました。

風歌の死

医師から風歌の心臓が戻ってこないと言われました。
パパは壁を叩いて泣いていました。
私は「なんで、なんで、なんでー」と叫びました。
うそでしょう?風歌。
朝、元気だったじゃない。
ママは風歌と遊ぶ為にお家を掃除してたんだよ。
前の日は一緒に3人で踊ったじゃない。
一歳の誕生日も、もうすぐじゃない。
パパとお休みを合わせて風歌と温泉に行く計画もあったんだよ。
うそでしょう?
今なら間に合うから目を開けて。お願いだよ。


 これもパパの
仕業です
.
家の近くにある、
公園の銅像に

風歌を乗せて、
いつのまにか、

写真を撮ってました

取り調べ

刑事さんと医師から解剖の必要性を説明されました。
私達は風歌と一緒に警察署に行きました。
そこで、風歌と離れ離れに・・・
6時間ほどでしょうか取調べを受けました。
取調べが終われば風歌に合わせてくれるというので
それしか、頭にありませんでした。

解剖

解剖するまで5分ほど時間があって、今から切られるであろう
もう二度と触れないお腹をパパと一緒に触りました。

お通夜、お葬式、そして・・・

風歌は遺骨になって我が家に帰ってきました。
私達は抜け殻でした。パパに何度一緒に死のうとお願いしたか・・
じっとしていられなくて。何か風歌の為にしてあげたくてお経を覚えたり
折り紙の裏に『生まれ変わってね』と一枚ずつ願いを書き
千羽鶴を織りました。


月日は流れて・・・・


最後の写真です

なにも考えられないまま、季節は春から初夏に移り変わろうとしていました。
あぁ、コタツを片付けないとイケナイなぁ。
お仏壇を置くには家具を移動させないと駄目だなぁ。
このままじゃイケナイのかな。
幸せだった頃のまま何も変えたくない!!
風歌の匂いが消えそうで。
変わりたくなくて、想い出にしたくなくて。
何をするにも
風歌がいないという現実をおもいしらされています。


私達が求めていたものは、
特別な事なんて何も無かったと思います。

ヨチヨチ歩く風歌を見たかった。
パパと私それぞれが手をつないで
風歌を間にはさんでお散歩をする。
風歌にパパ、ママと呼んでもらう。
一緒にお買い物に行って
風歌の欲しがるものを買ってあげる。
風歌と一緒にお弁当を作ってピクニックに行く。

もし、風歌が猫を拾って来たらどうしよう。
弟か妹が生まれたら
いいお姉ちゃんになるのかな?
やっぱり私達も
子ども番組のキャラクターに詳しくなるのかな?

今となっては、全てが一生かなわぬ夢になってしまいました。



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