あれから4年
(2003年3月26日)

今年もまた風歌の命日が訪れました。


ホームページを開設するに至った動機
そして事故に遭われた方へ


事故直後残された僕達夫婦は、
きっと他にも、我が家と同じ体験をした家族がいるだろうと探しました。
その方達ならこんな時どうすればよいのか教えてもらえると思いました。
八方ふさがりの状況の中で何とか情報だけでも、と

しかし一個人がどのようなツテを使って探しても
簡単には見つかりませんでした。
我が家の場合は認可保育園での事故でしたので、
その管轄である厚生省に電話をかけましたが、
まったく役に立ちませんでした。
それどころか病気だから仕方がないですよと諭されました。

その頃風歌が天使になった施設が
あるホームページを印刷した物を持って来ました。
そこには、
SIDSについて一般的に言われていることが書いてありました。
そんな情報は本を見れば書いてあることであり
わざわざアンダーラインまで引いて持ってくることに
その時の僕はとても怒りを持ちました。
それまでインターネットとは無縁
パソコンも触ったこともない僕でしたが
1999年初夏の当時、地方都市に住むものとして
情報源として意味のある媒体だと感じました。
そしてパソコンを購入しました。
きっと我が家と同じ経験からの『ホームページ』があるはずだと
インターネットも始めました。
しかし検索の下手さも手伝い、見つかりませんでした。

厚生省の電話窓口経由で
SIDS家族の会というものがあることを知り
そこならばきっと仲間が見つかると入会しました。
SIDS家族の会は遺族の心のケアに重点を置いて活動しています。
愛する子供を失った人間として、とても救われました。
4年経った今でも妻はその会の方たちと交流があり
悲しみや苦しみを癒していただいてます。
その会の会員の渡辺さんという方経由で
『赤ちゃんの急死を考える会』(現ISA)がある事を知りました。
ようやくそこにたどり着いたのは
初盆を過ぎた風歌がいなくなって4ヶ月が過ぎた頃でした。

沢山の情報をもらいSIDSの現状を知りました
1999年の夏は司法の無能さが露呈した時でした。
口にタオルが詰まって発見された真理子ちゃんの裁判が
最高裁でSIDSだから誰のせいでもないと判断された年でした。
解剖所見で窒息とされていたにもかかわらず
うつぶせ寝で2時間30分も放置されていたにもかかわらず
経営者は刑事裁判で有罪になっているにもかかわらずです。
司法に絶望しました。
だからといって何もしない訳にはいかないと思いました。

こんな不条理がある事を多くの人に知ってほしくて
うつぶせ寝は窒息する可能性がある事を知ってほしくて
『風のあしあと』の製作に取り掛かりました。
『うつぶせ寝を考える会』へリンク依頼のメールを出した時
その時初めて同じ境遇の家族が作ったホームページだと知りました
遺族のホームページがないのなら作ってしまえと短絡的に
風歌のホームページを考えたのも事実ですが
我が家だけの問題ではないと知り
『あしあと』のページにご家族の協力のもと
多くの受難した子供たちを紹介させていただきました。

ホームページを公開してから
残念ながら新たな被害者が沢山いる事を知りました。
風歌の悲しい後輩です。
今の僕達夫婦は
その家族に情報を差し上げる事ができる立場になりました。
と言っても、正確には現在戦っている方達への橋渡し
または電話交換手であり、案内人になることができます。
僕たち自身は保育園に誠意もあり
裁判という苦しみを背負う事もなく
戦っていると言える行動をしていなくて
この問題を世間に訴えるという道を選んだのですが、
もし、誠意のない施設での事故ならば
裁判まで闘うことを視野に入れたアドバイスが必要だったと思います。

我が家は今、
『赤ちゃんの急死を考える会』(現ISA)(リンクあり)
に所属しています。
この会のサポートによって救われた家族が沢山います。
ご家族の事故直後の選択肢の一つに
この会の事を加えてほしいと思います。
僕達は実際に多くの会員とお会いして
お話をお聞きしています。
会員名簿には
事故に逢ったお子さんの状況、場所、月齢、その後の経過
など詳しくあります。
他にも会員の裁判の進行状況や
問題が起こったときの対処方など
多くの会員がつちかった情報があります。
あの時我が家に必要だった情報が沢山あります。

今の僕達は新たに苦しみを背負った家族をそちらへ導く事ができます。
どうか力にならせてください。




SIDS学会、行政、司法について

4年前
SIDSは2000人に一人の割合で発症するとありました。
今年、北九州の小倉で開催されたSIDS学会では
4000人に一人に減ったと発表されました。
うつ伏せ寝は危険だとする啓蒙活動の
成果だと信じています。

2002年秋厚生省はようやく無認可の託児施設に対しても
うつ伏せ寝をやめるようにとの指導をしました。
同じ年SIDS診断の基準も根本的に見直すと
新たに研究班を発足させました。


司法の判断も4年前と大きく変わり
安易なSIDS判断を認定しなくなり
うつぶせ寝で放置した事に非があると最高裁が認めました
福岡地裁でも今年
うつ伏せ寝に対する注意を怠ったと
保育園に責任を求める判断をしました。

ゆっくりとですが、着実に流れが変わりつつあります。

2002年大阪の桜ノ宮で開かれたSIDS学会では
DSI(死亡状況調査)は重視しなくて良い
という発表をされた法医(解剖医)がいました。
『法医(解剖医)の仕事は遺体から分る事だけを調べる仕事』だと、
その同じ頃、
香川県ではそのDSI(死亡状況調査)を
まったく考えない法医(解剖医)が
遺体から分る事すら無視してSIDSと安易に診断したケースが出ました。
飛士己君を襲った出来事です。
この件はご家族の努力により
園長の異常な虐待が判明し
2003年2月1日
殺人罪で有罪判決を勝ち取りました。
そして現在
ご家族は安易な解剖結果を出した医師を訴えています。
蛇足かもしれませんが、
飛士己君

のページに偶然取り上げた二人
飛士己君とまどかちゃんがある一点で
重なる場所があります。
それは解剖した二人の医師の所属です。
二人は同じ職場に名前を見る事ができます。
同じ法医学教室で一人は教授
もう一人は非常勤講師とあります。


この事件を受けてかどうか分りませんが
今年2003年のSIDS学会は
DSI(死亡状況調査)を重要視すると軌道修正をしました。

今まで様々なSIDSの学説が出て
その度に騙され続けてきた
今ある呼吸中枢の発達の遅れという説にも
実は騙されているかもしれない。
と発表された医師もいました。

途中、乳幼児突然死症候群(原因)と乳幼児突然死(結果)
を同じもののように扱う調査結果があり
見ていて不満を感じたときがありましたが
それを指摘する意見が同じ会場の医師からすぐにされました。

2002年のSIDS学会の印象は
僕個人の(一遺族の)勝手な印象ですが
夏休みの自由研究発表会といったものでした
今年2003年の学会はひとつの目的に
(SIDSとそうでない物をいかに区別するか、そして原因究明と撲滅)
進むためにはどうすればよいか
という話し合いの場に思えました。

2002年大阪での学会では
研究者以外では初めて遺族の代表として二人が
壇上に立ちました。
一人はSIDS家族の会から
遺族のメンタル面について発表されました。

もう一人は
『赤ちゃんの急死を考える会』(ISA)の事務局長をされている
菜穂ちゃんのお母さんの櫛毛さんです。
櫛毛さんは
『遺族から専門家への要望』
と題して次の内容についてスライドを使い発表されました。
(第8回日本SIDS学会プログラム・抄録集より抜粋)

そのときの模様がISAのホームページに動画でアップされています。
ここをクリックすると直接動画へリンクしています。


『SIDSって何?』 『SIDSと窒息の違いは何か?』
初めてSIDSを耳にしてから、9年の月日をかけて追求してきた。
その過程の中で、直面した現状や問題点、改善点について遺族の立場から述べたい

産院の新生児室で、生後一日の我が子は、うつぶせ寝で死んだ。
当日から病院長と助産婦は『窒息』を認め、
警察の調査および司法解剖の結果も『窒息』であった。
胃に残ったミルクから、死後も二時間以上放置されていた事も明らかになった。
しかし半年後、病院側の弁護士から『SIDSだから病院に責任はない』
と突然聞かされた。
悲しみと怒りの中で『なぜ、我が子が死んだのか』の真相が知りたくて立ち上がった。

『SIDSと窒息』この両者を明確に鑑別するのは非常に困難であるといわれている。
真実は苦しんで死んだ子供にしか分らない状況である。
にもかかわらず現在、病院や保育所で乳幼児が死亡した時、
『SIDS』なら不可抗力で責任も謝罪もなし。
『窒息事故』なら過失と認められ、謝罪もされ具体的な改善もされる。
その対応は正反対に分かれる。
当会『赤ちゃんの急死を考える会』は、
全国の病院・保育所における急死事例(約80件)に携わっており、
またSIDS専門家による鑑定・意見書および死体検案書等(約50件)を収集し
分析と検討をしている。

SIDSと窒息の鑑別が難しい現状では、早急に以下の改善を望む。

1・SIDSと窒息の明確な診断の確立
(死亡状況調査と解剖の徹底、場外診断である事の徹底)

2・SIDSと窒息の両方を含めた予防、研究、補償システムを作る。

乳幼児の為に、SIDS学会、医療界、保育会、親達が協力して
SIDSと窒息問題に取り組み、看護や保育の改善に努力する時期に来ていると思う。
  

これが遺族の心からの願いです。
もう取り戻せない我が子の命を
新しい命のために
有意義な物にしてほしいのです。
教訓にしてほしいのです。

ほんの少し前まで、誠意のない施設は
SIDSと言っておけば責任は発生しないと言う考えの下
うつ伏せ寝にしたからSIDSが発生したとか
子供を暖めすぎたからSIDSが発生したと
裁判の場で主張していました。

今は司法がようやく
うつ伏せ寝の危険さを認識し
安易にうつ伏せ寝にして放置する事を
道義的に悪い事だとする判決が相次いでいます。
SIDSの免罪符としての効果が薄れてきました。
これは、今まで犠牲になった子供達の手柄です。
その子供のためにがんばった家族の手柄です。
4年前と比べて全体の発生率が半分になったのも
子供達の手柄だと思います。

いつかこの問題が過去の物となり
新たな犠牲者が増えることなく
今苦しみを背負っている家族が
その苦しみから解放され
『赤ちゃんの急死を考える会』(現ISA)
の存在意義がなくなることこそ
『赤ちゃんの急死を考える会』(現ISA)
の望む事だと信じます。

2003年3月26日
風歌の命日に