真滉君

まひろ君
(2000年8月16日早朝他界)

平成11年1月に生れた真滉君は、
誰にでも起こり得る病気の
細気管支炎の治療の為
病院に入院加療中
寝かせる為に横向きにされ
背中にバイブレーターをあてられていました。
発見時、大人用の氷枕に
顔をうずめる形で
うつ伏せ寝になっていました。
生後4ヶ月、平成11年6月16日の事です。
かろうじて一命を取りとめた真滉君は
それから極めて脳死に近い状態で
懸命に戦っていました。

平成12年8月17日
真滉君のご家族から
連絡がありました。


いつもお世話になっております。
昨日の早朝、5時50分、真滉が短い生涯を終え、
その小さな背中に、二つの翼が生え揃いました。
 
生前は、たくさんのお力と、暖かいご声援を頂きありがとうございました。
真滉に変わり、心より感謝申し上げます。
7月の終わりから、状態が悪くなっておりました。
長い呼吸器管理で、肺に限界が訪れました。
最後は様々な処置に小さな体で、懸命に耐え、
我が子ながら本当に良く頑張ったと思っております。
私は、前日が泊まりの日で、真滉とずっと一緒にいる事ができました。
連絡を受けた近しい者全員と、駆けつけた医師や看護婦も数名おり、
たくさんの方に見守られての臨終でした事は、せめてもの慰めでした。
 
どうか、皆様も空を見上げて、今一度、真滉の頑張りを誉めてやって下さい。
そして、まどかちゃん、みなみちゃん、りおちゃん、あやかちゃん、ふうかちゃん
みんなのお友達に入れてもらえるよう心よりお願い申し上げます。
(みんな女の子ですね!ヒロ、テレちゃうかもしれませんね。)
落ち着きましたら、また改めてご連絡させてます。
 
                                     石井 慎也・忍

事故からちょうど1年経った日に
ご両親は
病院の過失を訴える訴訟を起こし
同時にホームページを発表しました。
リンクのページ からも
あしあとのページからも
そのホームページに行くことが出来ます。


今、お子さんがいらっしゃる方
これから子育てをはじめる方

真滉君のご家族からの
メールを読んで
自分の身に降りかかった事だと想像してみてください。
病院だから安心だと
預けた上での事故です。

『私だったら生きていけない』
『狂ってしまう』
そんな言葉は
少し無責任な言葉です

残された者は
死ぬ事も
狂う事も出来ません。

遺族は
まず大きな壁にぶつかります。

あまりにも大きな悲しみにです。

そして選択をします。
基本的には
『何をしても、失ってしまった我が子は帰ってこない』
そこから全てが始まります。

そして、そこから
諦めるか
戦うかを選びます。

戦っている家族は
そのお子さんの為でもあり、
これからの
保育を良くする為に
安心して
子どもを育てることが出来るようにと
戦っているのです。

天使になってしまった
真滉君は
ずさんな病院の体制での
医療ミスによって
無限の未来を失ってしまいました。

窒息死直前に発見されたのですが、
病院は『ニアミスSIDS』
つまり
『SIDS』になる直前だったと
主張しています。

誰がどう考えても
それは、変じゃないか?と思いますが
裁判になると
その、変じゃないか?と思う事が
通用しているのです。

それでは、
今後の悲劇の発生を
司法が
許してしまう事になるのです。

これからも、真滉君の裁判を
応援していきたいと思っています。

真滉君は
きっと天国で
風歌、みなみちゃん
あやかちゃん、まどかちゃん
りおちゃん
先に逝ってしまった
子ども達と
仲良く遊んでいると信じています。

真滉君
お疲れ様でした。
ゆっくり休んでください。



風歌のパパより
(2000/8/17)